もし明日死ぬとしたら
もしも、明日が自分の寿命だったらどうしますか?
私は10年以上前にこの事について考えさせられる出来事がありました。
その10年以上前のある年に、親しい友人のお姉さんと、1年ほど前まで一緒の職場で席が隣だった男性が亡くなりました。一人は前から闘病していたことは知っていたけれど、もう一人は突然の訃報。その知らせを聞いて、それまでの私の死生観みたいなものが大きく変わりました。二人ともごく親しいという訳ではないけれど会話をしたし、一緒にお酒を飲んだりした人。それがもうこれからはできない。
以前の私は漠然と社会人になるまで生きた人は、みんな年金をもらうくらいまでの年齢までは普通に生きるものだと思っていた。子供の成長に関することや夫婦間のこと、あるいは独身のまま、仕事やこれからの生活についてなどみんなそれぞれ悩み、もがきながらもずっと生きるものだと思っていました。
でもその当時の二人の訃報を立て続けに聞いて、そうではない場合もあることを知った。
自分の寿命は自分で決められるものではないことを初めてくっきりと意識させられました。それと同時にじゃあ、どんな状態であれば自分が納得して”安心して死んでいける”と思えるのか。ということも考えました。でもそんなものはない。何をどこまでやったか、どんなものを手に入れたか、望んでいた今があるか、そんなこと全然関係ないんだってことに気づいた。
子供が成人するまでは、この仕事を終わらせるまでは、老後をある程度ゆっくり過ごしたい、なんてぜーんぶ関係ない。たとえ自分が思い描いていたものすべてを人生でやり尽くしたとしても「ああ、もう満足したんで明日死にます。」なんて人間は絶対思わない。
…エゴですよね。
いつ自分の寿命が尽きるかは誰にもわからない。だったら、明日死んでも後悔がないように、今やりたいことをなるべくやろう、とその時思いました。いつその時が来ても「まあ悪くない人生だったな。」と思えるように生きよう、と。
もし、明日がその日であったとしても私は思い残すことなく「悪くない人生だったな」って私と関わってくれた人すべてに感謝して受け入れられると思います。
”あれもしたかった”、”あそこにも行きたかった”とかではなく”悪くなかった、楽しく幸せだった”って思えると思う。そんな風にその時を迎えられるように今を生きてきた(^-^)つもり。
これからも今の自分に素直でいたいと思います。生かされている間は。
やりたいこと、言いたいこと、伝えたいことは明日に回さないで。今、やってくださいね。充実した人生のために。
そして、明日また目が覚めたら感謝の気持ちを持ちましょう。昨日と同じように目覚めたことを✨
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